2010/04/29 (Thu) 09:51
講談社
2009年9月
「わたしたちは仲間です」……4月のある日、14歳の「僕」に届いた一枚のメモ。僕の斜視を「ロンパリ」と嗤い、日常的に暴力をふるう「彼ら」が見つけた新しい遊びかと塞ぐ僕の前に現れたのは、クラスメートの「コジマ」だった。彼女もまた、外見を不潔と罵られ、女子生徒から日常的に苛められていた。ひそやかに不器用に始まったコジマとの交流は、やがて、陰鬱でしかなかった僕の「世界」に輝きを与えていく。僕の世界に明るい面をくれたコジマとの友情は、永遠に続くはずだった。もし彼らが、僕たちを放っておいてくれたなら――。なぜ彼らは僕を苛めるのだろう。人はなぜ理由もなく人を傷つけられるのだろう。善と悪を分かつものは何なのか。人は何のために生きるのか――僕の悲痛な問いが胸を打ち、涙がとめどなく流れる、魂を揺さぶる感動作。
人によっていろいろ解釈が違ってくる本かな、なんて思ったりしました。
いじめの部分は読んでいて辛くて、かなり精神を消耗しました。
コジマが、目の手術に否定的だった場面は、隠れていた彼女の本質が見えたようで衝撃的でした。彼女は、いじめる側だけでなく、「僕」までも見下していたのだと感じました。人を見下すことにより、彼女は精神を守っているのかもしれません。
異質なもの、理解できないものを排除もしくは否定する傾向は、子供だけでなく、大人の世界にも確実に存在していると思います。
そう考えると、人間が人間である限り、いじめというものはなくならない気がします。人種差別だって、いじめの一種といえると思います。そして、それはなくなってはいないようです。
「僕」が手術をしたことで、希望があるかのような終わり方をしていますが、果たして本当にそうなのでしょうか。外見が変われば、いじめはなくなるのでしょうか。どうも、そんな簡単なことのようには思えないのです。「僕」は、うまく人との距離を掴んで、やっていくことができるのでしょうか。
いじめる側のことも、コジマのことも解決しないまま終わってしまうこの本は、決して読後感がいいものとはいえません。
単純かもしれませんが、私は結局、無意識に解決を望んでいるのだと思います。ご都合主義でも構わないので。そういう意味で、あまりこの本は好きになれないなぁ。
内容★★★
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